感情という名の、あふれる文字たち つづき

umatohitsuji24.hatenablog.com

 

この記事から一カ月ぐらいたってしまった。。。需要あるのかと思いつつ(たぶんない)、じぶんのものでも人様のものでも人間の歴史というのはおもしろいので、ここに残していく。

↑は主にセクシュアリティの話だったけど、わたしは高校生まであんまりそういうことを自覚できたことはなかった。いつもいっしょにいる女の子の友達にドキドキしたり、彼氏との話をムズムズして(嫌悪感とか恥ずかしさとかで)聞けなくなったりしていたので、なんとなく『他の女の子たちと何かがちがう』『ずれている』ということは薄々感じていた。

 

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ちなみに最近は下ネタとかセックス関連とか性の話はめっきりダメになった。ダメすぎて前の職場でいじ(め)られたこともあるけどダメなものはダメなのだ…それがまだ美しい(身なりを小奇麗にしている)外見の方ならいい、けれど生活感あふれる方からセックスの話を根掘り葉掘り聞いたところで、やはり生活感あふれた性生活しか想像できないのでどうかやめて頂きたい。

愚痴になっていしまいました。こういうことを書きつつ、『じぶんって潔癖だなあ』と感じます。これからの課題はスルースキルを身に着けることです。w

さて、↑の『他の女の子たちと何かがちがう』『ずれている』という感覚は、どうやらわたしの劣等感や人間関係のすべての核・大元の原因になっているようです。

 

中・高校生のころ、勉強で姉に勝てないことを悟ったわたしは、わざと授業はぜんぶ居眠りして、勉強せず、万年ビリのような順位を取っていました。どれくらい居眠りしてたかっていうと、移動教室のとき気づいたらだれもいなかったとかそういうレベルです。笑ってくれ。

『勉強ってくだらないな、おもしろくないな』という考えもあったけど、真剣に勝負して負けることが怖かったんだと思う。あ、でも、倫理と世界史だけは成績良かった。どちらも興味があったから、覚えられた。

そして、『わたしはお姉ちゃんとはちがうんだ、負けてなんかいないんだ』ということ、唯一得意だった絵を描くことや小説を書くことに全力を尽くすようになった。サイト開いたり毎日絵描いたり、とにかく描いてた。

わたしは芸術的センスがあるから勉強なんてしないのさ!と思ったし、ここらへんから社会全体をバカにするようになった。お姉ちゃんは模範的な社会人に見えていたから、良い成績や大学進学やサラリーマンの人たちなんかクソ食らえ!と思っていた。

でもちがうんだ。バカにしたかったわけじゃなくて、じぶんが消えそうで怖かった。わたしもお受験組で通っているのは中高一貫のお嬢様校だったし、そのときの世界には勉強か部活か友達か絵と小説だけだったから、しょせん勉強から逃げられないのは知っていた。知っていたからこそ反抗していた。

結局そのあと、成績の悪いわたしを案じた母親に、塾通いをさせられるはめになる。私立なのに。笑

そしてこのへんからリストカットをするようになります。さあいよいよ暗さマックスです。

わたしの場合、死にたくて切っていたわけではなくて、ただお母さんに『こんなにつらいんだからわかってよ』と言いたかっただけだったんですね。だから気づいてるけどそれを口にせず、ただやさしくしてくれれば計画成功なわけです。

心の叫びといえば心の叫びだけど、今考えるときちんと言葉でコミュニケーションがとれればよかったなと思います。まあそれだけ母親がこわかったんですね。つねに『怒られる』とビクビクしてました。けっきょく、一年…?ぐらい経ったとき、学校から帰ると急に『手首見せて』と言われました。終わったと思いました。w

『死にたいの?そんなに実家が嫌なら出て施設に行きなさい』と言われ、わたしは茫然。えっ、まさかそんな方向に思考が行く?「ごめんね」はないの?

まさにこれです。衝撃過ぎて今でも覚えています。

でもそのあと、泣いて謝られて、わたしはさらなる衝撃を受けます。

とんでもねえことやっちまったな…

です。そのあとはお葬式状態です。親を泣かせてしまった…親不孝…あの強気な母を泣かせてしまった衝撃といったら、2トントラックではねられたみたいなものでした。

 ここらへんから、だんだんと今のじぶんのセルフイメージである『ずれてる』から『いつのまにか嫌われる』→『居場所がなくなる』から『人を喜ばせないといけない』『なにか価値のあることができないといけない』。が出来上がったと思います。

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これ、書きながら泣きそうですねw現在進行形です。わたしは『ずれてる』からどのグループにも属せないし心を許す人もいないし、友達もそんなにいないです。今後の課題はこれとどう向き合っていくかですね。課題がふたつ出てきました。①スルースキルを身に着けること②『じぶんはずれている』という孤独な感覚とどう向き合っていくかということ

まあ、結局は愛されたいだけなんですよね(大の字)大人になると羞恥心やらプライドばっかり育っちゃって、すなおに言えなくなります。愛されたいです(二回目!)

 

つづく。

人は、人とつながっていたい。

jurigeko.hateblo.jp

 

こんな記事を見つけた。

「なんてすてきなんだろう…」とうっとりした。

同時に、大学生のとき、ミュージカルが大好きだったことを思い出した。

家族にだれひとりシアター系が好きな人間がいないのに、なぜミュージカルが好きになったかといえば、大学時代に観た「レ・ミゼラブル」(映画)に衝撃を受けたからだ。

ミュージカル映画を観たのはあれがはじめてだった。それまでに、劇団四季美女と野獣オペラ座の怪人なども観たけれど、どちらかというと退屈だった。なんでかなあ、とともだちと談義したものだけれど、まあまあ、いわゆる相性の問題かなと思っていた。

そんなわたしが、興味本位で観に行ったレ・ミゼラブル」では、立てなくなるほど泣いてしまった。エンドロールが終わってからもしばらく席から立つことができなかった。びっくりしたのは、客席から拍手が沸き起こったことだ。あれにはほんとうに驚いたし、温かい気持ちになった。便乗して「ブラボー!」と叫びたいほどだった。

そしてエンドロールが終わると同時に、わたしは映画館の客席で

「ミュージカルを学びにいかなければ」

と強く思った。

 

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「なんてこったい…」と頭を抱える図※イメージ

そして大学4年の夏、就活などそっちのけでイギリス・ロンドンに1カ月留学した。

日本に帰ってきたわたしが一番に考えたのは、「いつか自分で劇場をつくろう」だった。オーガニックのカフェやレストランを併設して、だれもが気軽に、ごはんを食べたりしながら見れる、キャバレーのような…。仕事帰りにふらっと寄れるような劇場をつくろう。そう思った。

わたしが留学して感じたことは、「イギリスのように演劇やミュージカルを身近にしたい」だった。映画を観るような感覚で、日本の人たちにも舞台に触れてほしい。舞台では人間が生で演じる。生の人間のエネルギーというのは、相当なものなのだ。そこに触れれば、思い詰めているひとや自殺を考えているひと、とにかく生きる気力を失っているひとの助けになるのではないかと思った。

今はミュージカルに対する思いはサーカスや身体芸術に変わったが、根本的な想いは変わらない。もっと、身近に、心躍るような経験を、みんなにしてほしいのだ。わたしも、もっと、楽しみたい。

 

最近、「海外に移住して新しいコミュニティをつくりたいな」と漠然とした想いを抱くようになった。暑苦しいぐらいのひととの距離感で、日常をすごしてみたいな。中国か、カナダか…そんな気持ち。

わたしはおそらく、新しい家族を求めているんだと思う。もうそれはできつつあるのかもしれない。

わたしはひととつながっていたい。SNSではなく、じかにつながっていたいと思う。

おそらくそんなアナログな想いが、すべての根底にある。

大学のころの夢を思い出せて、よかった。

 

 

でも、こういう想いと同時に、ある疑問が首をもたげる。

「衣食住に困っている人たちに、舞台など問題外ではないのか」

悲しいことに、世界には足りないものがたくさんある。そして足りないものを、足りないまま生活しているひとも、たくさんいる。

舞台や、芸術が、日常を美しく彩るためのプラスαであることは、わたしもよくわかる。現にわたしも今、お金がなくて、美術館にも劇場にも足を運べていない。せいぜいDVDを借りて観るぐらいだ。

それでも、わたしは少ないお金で借りた一本のDVDで号泣し、すっきりした心に、透明な目に戻れることがたくさんある。

これは映画のちからだ。じぶんも、そういう存在になりたいと思う。

自分がこの先、芸術を生み出す立場になったとき、それが循環して、足りないものを与えられる人間になれたらと切に願う。

 

感情という名の、あふれる文字たち つづき(のまえに)

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そのときどき、ハマっている音楽をのせていこうとおもう。

 

今日おとどけするのは、台彎のシンガーソングライター、柯智棠さんのGoodbye&Goodnight。ひとりの夜がさみしいそんなとき、バックミュージックにお聴きください。

この方、わたしとそんなに歳も変わらないが、どこからこんなに奥行きのある深くとろけるような声がでるのかふしぎです。

いつか、このひとの歌を聴くためだけにひとり台湾旅行とかしよう。そしてうっとりしておいしいものをたくさん食べて帰ってこよう。

 

タイトルにはきのうの記事のつづきと題したが、いま感じていることは「とりあえずおなかすいた」です。さっきまで赤坂におり、すてきなカッフェーですてきなボリュームのサンドイッチ、オニオンスープ、コーヒー、オムレツなどなど、わたしがいちばん好むかんじのすてきな朝食をとったというのに、もうおなかがすいてしまいました。それにくわえて眠いので、とりあえず食べるか寝ようかしようと思う。

 

今日、「世界平和のためにわたしはなにをしたらいいかな」と男友達にたずねたところ、「たくさん食べてたくさん寝ることだね。」と言われました。妙に納得してしまった。そう、真の幸福はひとりの幸福から、真の平和はひとりの平和から、幸福と平和は健康な心身から。なんつってな。

 

書きたいことはやまほどあったのに、ひとことも思い出せない。久しぶりに会う友達に、会う前はあれも話そう、これも聞こうと思っていたのに、顔を見たとたん笑ってどうでもよくなってしまったときの気持ちと似ている。

半生をふりかえるというのは、何気に体力と気力をつかうものなのかもしれない。過去とむきあうのは、そういうことだ。だから、意識的にやらないと、古くなったぬいぐるみみたいに、いつまでもじぶんのスペースに、汚いまま、かわいそうなまま居続けることになる。ゴミにもだせず、かといって宝物のわけでもなく、「ただなんとなくとってあるだけ」の思い出たち。なんとなくおかしいな、と思いつつも、違和感がなくなっていく。目の前にはやらなければいけないことがたくさんあるからだ。

それでもたしかに、そこにある。けしてなくなりはしない。埃がつもっていく。ぬいぐるみの目は、あなたをずっと見ている。

過去は怪物にもなるし、宝物にもなる。なんの意味もないこと、偶発的に起こってしまったこと、相手は悪気がなかった(かもしれない)ことを、わたしの脳は脚色・演出して、ドラマティックに仕上げている。タイムマシンがあったら過去にさかのぼりたい。今の目で、今の視点で、人生の岐路のときのわたしを眺めてみたい。

 

それができないから、こうして文字というツールをつかって、脳みそをフルにはたらかせて、過去を観察することをはじめてみた。

 

じぶんでも気が付かないうちに、勝手に「トラウマ」に仕立て上げてしまったことがたくさん、ある。

 

他人にはなんでもないようなことが、わたしには怖くてたまらない。それは逆の立場にしても往々にしてある。

問題のない家庭などあるのだろうか?

 

「各家庭に、はたからみると考えられないような問題があって、それでも食事したり、そうじしたりするのには何の支障もなくて毎日が過ぎて行って、どんなに異常な状態にも慣れてしまったり、他人にはわからないその家だけの約束事があって、どろどろになってしまっても、まだいっしょにいたりするのよね。」

 

吉本ばなな「アムリタ」で、純子さんが言うセリフだ。彼女は主人公の家に居候している、離婚し家庭を失った女性である(たしか)。

このことばにたいし、主人公はこう答える。

 

「どんなにめちゃくちゃでも、バランスさえよければうまく回るってことかな。」

 

そうそう、そうなんだよ…とわたしは深く何度も頷いた。すごかった。わたしが言いたいことがこのふたつのセリフにぎゅっと凝縮されている。濃度が高すぎる。

 

すべてはバランスなのだ。

 

つづく。(中途半端ですが、ごはんと睡眠のため、離脱します)

感情という名の、あふれる文字たち

文章をかきたくなったので、ひさびさにブログを書いてみる。

 

唐突に、じぶんのセクシュアリティについて。

これはもう、何度も談義を、じぶんのなかやレズビアンのともだちと重ねてきて、現在は博愛主義者だと思っている。(わあざっくり!)

ちなみにわたしは、20代なかばの女性である。

いまは男にも女にもなりたくないので、ジェンダー用語をもちいれば、Xジェンダー(無性、両性、半陰陽)のなかの無性というものに該当するかもしれない。トランスジェンダーについてはあまりくわしくない。が、半生をふりかえれば、同性とつきあったことは一回、いわゆる二丁目のイベントに赴いた数はたくさん。いままで、なんとなく「わたしはきっとバイセクシュアルなのだろうな」とぼんやり生きてきた。

セクシーな女性をみればどきどきしてしまうし、銭湯や大衆浴場は気が引ける(いけないわけではないがはずかしい)。

 

これはジェンダーというよりも個人的な意見だが、「女性らしく」ということばが嫌いだ。雑誌も、おんなのひとの集まりという認識しかない。そこには嫌悪感すらある。長髪、ワンピース、ネイル。そうやって生きているひとたちが嫌いなわけではない、それらをじぶんにあてはめたときに、身震いするような嫌悪感が胸にこみあげてくる。それは悲しく、ある意味不可解なものだ。

それでも、いままで男性ともふつうに交際してきたし、性的機能はきちんと女性のものがはたらいている。

でもこの話題にかんしては、そもそもわたしの幼少期のトラウマがおおきく関係していると思うので、生まれながらの性質ではないかもしれない。~かもしれない、しか言えない部分が大きい。それぐらい、じぶんのセクシュアリティについては不可解な部分がたくさんある。巨大な迷路にまよいこんでしまったような錯覚を覚える。

 

私事だが、わたしは、少々独特な価値観を持つ母のもとで過ごしてきた。

母は、おんなのこらしいものが好きで、それ以外はまったく好きではないひとだった。すごくひらたくいってしまうと、ピンクのスカートとか、レースのフリフリとか、ロングヘアー。これらは彼女のなかで「おんなのこ」として、圧倒的な存在だった。

ざっくり、ほんとうにざっくりいってしまえば、これ以外のものは「おんなのこ」ではない。好みではないともいう。

そしてわたしは、生まれるまえにひとりSM設定をしてきたのか、いわゆる世間一般の「おんなのこ」らしい4つ上の才色兼備な姉という、人生最大のハードルともいえる存在とともに育ってきた。あきらかな比較対象がおなじコミュニティに、それも人生の大部分を過ごす「家庭」というコミュニティにいるのはつらいことだ。わたしは単純で素直な人間なので、ひとのことばを真に受けて寝込むようなタイプだ。そんな人間が「おかあさん」という絶対的な存在にグサグサと包丁で刺されるようなことばをことあるごとに言われつづけ、よく自殺しなかったと思う。ほめてやりたい。20代なかばまで、よく曲がらずに育ってきたと。(いや、曲がっているのか?)

 

ここまで書いてきて、なんともじぶんに甘く、またじぶんをねぎらうためだけの文章だと感じているが、感情の整理と癒しを目的としたブログなので、よしとする。

 

母とわたしは好みが正反対で、そんな母のもとに生まれ育ったにもかかわらず、自我が育ったわたしは、中学校~高校はほぼショートカットで過ごした。

わたしは母の定義する「おんなのこ」が徹底して嫌いだったのと、なんともくだらないなあと思って見ていたので(この辺はわたしも頑固でありゆずらない)、怒られるとわかりつつも毎回ベリーショートにした。

その根底には、「ほかのおんなのこといっしょになりたくない」「埋もれたくない」「個性をわかってほしい」など、思春期特有の、反抗心もあったのかとおもうが、まあ一言でまとめてしまえば

個人の好み

である。

それに対して、母は「サルみたい」「そんな髪型じゃどこにも連れていけない」「ふつうにしていればかわいいのに」などなど、そりゃもう「お前のことズタズタに傷つけてやるよ」オーラ全開で、ごはんをつくってくれなくなったり、口をきいてくれなくなったりした。ごめんね、おかあさん、嫌みっぽく、かきます。

ここは、むかしのわたしをあますことなくさらけだして、まとめて、癒すところなので。

 

とはいいつつ、ここに書いてきたことは、「わたし」というフィルターをとおして見た世界だということを添えておく。

わたしがわたしという感性をもっておらず、もっと反抗心や独立心にあふれ、中途半端に相手をゆるし、じぶんをゆるせない人間でなければ、もっとちがう見解があるだろう。


ここには、わたしが感じた正直な怒りや、不安を、ぶちまけていこう。


つづく。